Diary-2
休日。朝九時ごろ。俺は近くのガソリンスタンドへ給油しに行ってから、車の中を軽く整理していた。
少しだけ乱雑な車内。いろいろと片付けるべきものはあった。
大方片付けて、座席に座り助手席のポケットを開く。
そこにあるのは地図張。数えきれない程の付箋。いつかアイツと行った場所たち。
「けっこういろんなとこ行ったな…」
なんて、思わず感慨深く呟いてしまう。
それほど付箋の数は多い。分厚い地図張。そのほとんどにある付箋。思い出の数だった。
ふとそれを開いてみる。ここから一時間以上かかった海、迷って迷って、やっと辿り着いた秘湯、オープンと同時に行ったショッピングモール。
そのどれもが鮮明に思い出せた。
その中に一つ見つけた、地図の上のドクロマーク。ケンカしてしまった場所。
「あったな…そんなこと」
日本一有名なテーマパーク。一度行ってみたくて二人で行った。
かなりの長旅だったことをよく覚えている。そんな中でもハルヒは元気で、俺は若干疲れていたが、楽しさでそんなことも忘れていられた。めちゃくちゃ歩き回っていろいろな乗り物に乗って。
その合間のこと。
「悪い。ちょっとトイレ行ってくるから待っててくれ」
「分かったわ。なるべく早くしてよね」
トイレで手を洗っていて、ふぅと一息。
運転疲れと歩き疲れがけっこう来ていることを実感させられた。体が少しだけダルい。
もう、そろそろ帰り時だな。と、思いながらトイレの出口。
「ひっく…おとーさん…おか…さん」
出口隅っこ。泣いている子供。一発で親とはぐれた子供だと分かった。
「どうしたんだ?」
流石にここで無視するほど人間腐っちゃいない。
安心させるよう、なるべく優しく声をかける。
「おと…さんとね…っく…おか…さんね…どこにも…居ないの…」
しゃくり上げながら必死に喋る子供。やはり迷子。これだけ人が来ていればよくある話しだ。ほっとけない。
「どこで居なくなったか、覚えてるか?」
「あの…ジェットコースターのとこ…」
ジェットコースター。有名な三つが頭に浮かんだ。
「どんなジェットコースターか覚えてるか?」
「おやま…のやつ」
あれか。頭にすぐ浮かんだ。ここからは多少離れている。多分、この子供は不安になって適当に歩いている内にここまで来て、寂しさに耐えられずに泣いてしまったんだろう。
「分かった。後は任せろ。ほら行くぞ。男の子はいつまでも泣いてちゃダメだ」
そう言って泣いている子供も手を取る。
俺の言ったことを分かってくれたのか、泣くのを止めた。
けれど泣きたいのを必死にこらえているような顔だった。
「偉いぞ。すぐにお父さんとお母さんのとこに連れていってやる。頑張れ」
頭を撫でてやると、少しだけ表情が柔らかくなった。
思わず微笑ましくなる。
とりあえずと思い、アイツにこれからのことを伝うようと、待ち合わせの場所に行く。
だが。
「あれ?」
アイツの姿が無かった。時間にしてほんの五分くらい。だというのにどこにも居ない。勝手にどこか行くというのも珍しい。辺りを見渡してみるが、どこにも居ない。
「どこ行ったんだ…?」
思わず不安そうな顔をしてしまう。
そして子供というやつはそれを敏感に感じ取る。
「おにいちゃん…」
また泣きそうな声。しくじったと思った。失敗したと思った。
「あ!泣くなよ。泣くな。大丈夫だぞ~」
ぐずる子供、見当たらないハルヒ。天秤にかけてみる。
そして今は子供の方を優先しなければと考えた。モタモタしていたら、まだ子供がはぐれた場所に居るかもしれないこの子の父親と母親に会えなくなる可能性が高い。
せめて連絡をと携帯電話を取り出す。が。
「…マジかよ」
電池切れ。昨日、充電器を無くして、買っていなかったのを思い出した。最悪だ。買っておくべきだった。不運がこうも重なるのも珍しい。嫌な流れだ。本当に。
アイツには悪いがここでしばらく待っていてもらうしかない。
「仕方ない…か」
そう呟いて、俺は子供の手を引いて歩き出した。
ジェットコースター付近に着いてから探し回る。何かを探している人というのは分かりやすい。そんなような人を見付けようと、付近を手当たり次第歩く。
「あの人は違うか?」
「うん…違う」
目星を付けて子供に尋ねてみる。その行為を何回か繰り返す。少し焦った。すでに三十分以上経過している。アイツに心の中で何回も謝った。
その時だった。
「あ!」
子供が何かに気付いた声。その視線の先。
若い男女が居た。何か言い争っている風。
「あれが…お父さんとお母さんか?」
「うん…」
目を伏せて子供は言った。気が重い。思った以上に若い親。そしてケンカ中。厄介事は続くようだ。
とりあえず、ここに居ても仕方がないので、この子を送り届けようと両親の元へ向かう。
「お前が目を離すから居なくなるんだろうが!しっかり目を付けとけよ!そうでなくても勝手に歩き回るんだからさ!」
「何!その言い方!大体、あなただっていっつも子供のこと見ないじゃない!ふざけたこと言ってんじゃないわよ!あなたこそしっかり見てなさいよ!」
近くまで来て、そんな声が聞こえてきた。周りの人は遠巻きに二人を眺めている。当たり前だ。夫婦喧嘩は犬も食わない。巻き込まれたくないのは俺も同じだ。それにしてもこの両親は酷い。子供を探そうともせずにケンカなんか始めている。しかも責任の擦り付け合い。しかし子供をこの二人の元に返さなければならない。
「あの…」
思い切って声をかけた。気付いていない。少し声が小さかったようだ。
「あの!すいません!」
今度は少しだけ大きな声。二人の顔がこちらを向いた。そして、俺の隣に居る子供へとその目が向けられる。
「あの…おとうさん…お母さん…ごめんなさい」
子供の声。せっかく両親に会えたというのに悲しそうな声だった。無理もない。夫婦喧嘩の真っ最中では。
「龍次…あんたどこに行ってたの!」
だというのに母親が最初に言ったのは子供を叱る言葉。
「お前、勝手にうろうろするなって言っただろう!」
そして父親も同様。俺の存在など目に入っていないかのように子供を叱る。
「ごめん…なさい」
謝る子供。
「ごめんじゃないでしょ!龍次!ウロチョロする癖なんとかしな―――」
「良い加減にして下さい」
思わず割って入る。限界だった。俺は怒っていた。それが声色にも表れていた。隣の子供は俺を見ている。
「なんだ…アンタには関係――――」
「確かに関係は無いですよ。…けどアンタ達は何やってんですか!この子、ずっとアンタ達を探し回って泣いてたんですよ!なのにアンタ達はこの子を探そうともせずに喧嘩なんかして、親として恥ずかしいとは思わないんですか!」
本来なら他人の俺が関与する問題じゃないはずだった。ただ我慢は出来なかった。このままじゃ余りにも子供が可哀想過ぎる。
「あ…」
「…」
母親と父親は何かに気付いたように悲しそうな子供の顔を見る。今にも泣き出しそうなのがよく分かった。繋いだ手は震えていたから。
「今、ただ子供を送り届けただけの俺が言えることじゃないのは分かってますよ。けど…もうちょっと冷静になって子供のこと考えて下さい。お願いします」
それだけ言って、子供の手を離す。
両親の元へ促すと子供はそちらの方へ行った。
両親の顔は少し伏せられていた。自分たちの行動を省みてくれているならありがたいが、それ以上はもう知ったこっちゃなかった。
それほど怒っていた。俺も少しイライラしていたのかもしれなかった。
「それじゃ…」
それだけ言って、両親達に背を向けて歩き出す。もう三人がどんな顔をしているか分からない。
しばらく歩いて、そして怒りが少し収まったところで時計を見てハッとする。
「マズイ―――!」
あれから一時間半。時間は経ちすぎている。
全力で走って、そこまで行く。
そこに、ハルヒは居た。近くのベンチに腰かけていた。
走って近付く。ハルヒはしっかりと俺の目を見ている。そして本気で怒っているのが分かった。
「悪い…あの…」
「悪いじゃないわよ!勝手にどっか行っちゃったアタシも悪かったけど…アンタ勝手にどこ行ってたの!待っててくれたって良いじゃない!」
俺が口を開こうとした瞬間、立ち上がって怒鳴るハルヒ。待たせ過ぎたのは悪かった。けれどせめて理由を説明したかった。
「だから…俺が遅くなったのは…」
「言い訳なんか良いわよ!アタシがどれだけ――――」
「だから聞けよ!」
思わず怒鳴ってしまった。さっきの分の怒りが残っていたせいもあった。普段ならハルヒに怒鳴ったりはしない。
この時ばかりはどうしようもなかった。
「なによ…アンタ何怒ってるの!アンタが悪いんでしょ!」
「理由も知らずにそんなこと言うな!」
言い合いは止まらない。お互い熱くなり過ぎて、ハルヒに理由を話すこともすでに面倒くさくなってしまっている。
そんな時だった――――。
「おにいちゃん!」
子供の声が聞こえた。こっちに駆けてくる気配もした。
「はぁ…はぁ…」
近くまで来た子供は息を切らして、俺たちを見ていた。
次に先程の両親が走って向かってくるのが見えた。
「はぁ…はぁ…。すいません…。あの…さっきのこと謝りたくて」
「僕もです…。けど、ええと…お取り込み中みたいで…」
母親と父親の言葉に少しだけ冷静になる。
「そう…ですか。でも今は…」
「いえ…その…今だから言わせて下さい」
俺の言葉を途中で切る母親。さっきの俺と重なった。立場はまるっきり逆だったが。
「彼女さん…。ですよね。ごめんなさい。あの、私たちのせいなんです」
「え…」
母親はハルヒの方を向いて話す。ハルヒは少しだけ驚いた顔をして、その人の方と、俺の顔を見ている。
「この子が迷子になっちゃって、この人が届けてくれたんです。その時、恥ずかしながら私たちケンカの真っ最中で…。連れてきてくれたこの人も無視して、子供に当たり散らしちゃって…それを止めてくれたんです」
それを聞きながら、ああ始めから理由をしっかり説明しておくべきだったな―――そう反省した。そしてありがたかった。次は父親が話し出す。
「それで、僕たち反省出来て…その…一言謝って置きたくて、この子に連れてきてもらったんです。そうしたら――――」
自分たちと同じような状況だった。
そういうことだろう。なんだか恥ずかしくなる。自分がしたことを他人にされるのは変な気持ちだ。
「だからね…その…彼氏さんの方も、彼女さんの方も、落ち着いて下さい。彼女さん…ごめんなさい。私たちのせいなんです」
「僕からも…すいませんでした」
「いえ…そんな!顔を上げて下さい。私たちこそ変なところをお見せしてしまってすいません」
頭を下げる両親にそう返すハルヒ。こんな時の切り替えの速さはすごいと思う。そしてハルヒの顔からは、「悪いことしちゃった…」というのが読み取れた。
俺にも悪いところはあった。怒鳴ったりすることはなかった。反省した。
頭を上げた母親はハルヒの方を見て少し微笑み、そして俺の方を見る。
「彼氏さんも…ごめんなさい。…私がこんなこと言えないかもしれないけど…彼女さんも心配してたから怒っちゃったんだと思いますよ。だから…許して上げて下さいね」
「おにいちゃん…」
母親の言葉と、子供の言葉。自分の悪いところも分かっていた。その通りにするつもりだった。
だから。
「分かりました…。こっちこそすいません。それとありがとうございました。…悪かったな。そんな悲しそうな顔しないでくれな。おにいちゃん、大丈夫だから」
母親の方と子供の方を見てそう言った。
子供は笑顔になった。この子の笑顔を初めて見れた。
その後俺たちは家族と別れ、お互い謝った。
そして無事に仲直りが出来た。
仲直りするのは思った以上に簡単だった。それがなんだか嬉しい。
車のキーについているキーホルダーを見る。
「これを買うために居なくなってたなんてなぁ」
ハルヒとお揃いのもの。そしてカップル限定品。後から聞けば、どうやらこれを買ってビックリさせたかったらしい。それが間接的に喧嘩の原因となってしまったというのは少し皮肉だ。
それに、ハルヒがあれだけ怒っていたのは俺を心配してくれていたから。あの時、つい怒鳴ってしまったがよくよく考えればアイツが本気で怒る時は大抵そういう場合なのだ。
まあ今となっては良い思い出と言い切れるが。
「さてね…」
車のドアを閉めてロックする。
そして部屋へと戻る。一段一段階段を上がり、もう目が覚めているであろうハルヒの元へ。
玄関を開けるとそこには予想通りハルヒが朝飯を作っている所だった。
「あ。おはよう。キョン」
良い匂いがする。今日は多分玉子焼きだ。
「ああ。おはようハルヒ」
ハルヒの恰好。色褪せたスウェットとクタクタのパーカー。そして五本指の靴下。
完全に気の抜けた恰好。俺だけに見せてくれる姿。
そんなハルヒの姿を見る度に思う。
時には喧嘩する俺たち。
けれど繋がっている俺たち。
いつか遠い未来、毎日隣でコイツが笑ってくれているような暮らしが浮かんでくるんだ。ハルヒと居る時間が俺のそう信じる力を強くしてくれている。
その内に朝飯は出来上がって、卓に付く。
トーストに玉子焼き。いつも通りの朝。
「今日はどこ行く?」
ハルヒの言葉。もう決まっていた。俺はその場所の名前を口にする。
今日は土曜日。向こうで一泊して、日曜から一日中遊び倒せる。今度は運転疲れもないだろう。前回の反省だ。
「じゃあ、朝飯食って着替えがすんだら出掛けるぞ」
「分かったわ!ちょっと待ってなさい!準備してくるから!」
「って!あ!おい!ゆっくり食ってからで良いって!」
朝飯を急にがっつき出すハルヒ。出掛けることをそこまで喜んでもらえるのは嬉しいんだが、俺の言葉なんか聞かないようで、ハルヒはあっという間に朝飯を片付けて、着替えをしに自室に引っ込んでしまった。
「やれやれ…」
そんなハルヒの姿を見て心から思う。
地図に書かれたドクロマークは、また一つ上書きされるだろうな――――と。
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